otaku8’s diary

映画のこととか

2022年11月に観た新作映画

 新作をあまり観なかった月.

 

 

『EO』感想(前半ネタバレなし、後半ネタバレあり)

前半ネタバレなし、後半ネタバレあり

 

 


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ネタバレなし

 イエジー・スコリモフスキ監督の新作『EO』をポーランド映画祭で観た。個人的なポーランド映画祭の思い出といえば、昨年イメージフォーラムで開催された『DAU. 退行』オールナイト上映の直後にそのままポーランド映画祭でキェシロフスキ特集に臨んだこと(疲労で少しウトウトしてしまったが)。

 結論から言えば、めちゃくちゃ好きだった。オマージュを捧げていると言われる『バルタザールどこへ行く』よりも好きだ。ちなみに、物語自体は『バルタザールどこへ行く』とは全然違う。

 個人的に好きなショットがかなり多かった。冒頭の廃棄処理場のクレーンPOVや、無機的な金属廃棄物の山と有機的な動物たちの対比ショットで既にこの映画のことを好きになってしまった。他にも色々なカメラワークの遊びがあって「スコリモフスキ若いな!」となった。本作のイメージカラーの一つは赤色だと思うが、それは同じくスコリモフスキの『早春』を連想したりもした。音楽も非常に印象的で、Pawel Mykietynという作曲家を知らなかったが覚えておきたい一人になった。

 本作ではリアルな瞬間と抽象的な瞬間を行ったり来たりし、時には神話的にさえ思える瞬間も存在するが、それらを特徴的な映像や音楽を使って、台詞ではなくイメージの連鎖で魅せていく。

 動物を主人公にした映画だが単なるいい話みたいになっていない、潜在的な暴力性が存在するのは『バルタザールどこへ行く』同様良かった。特に、個人的には運命論的な冷酷さを感じ、その中で強調されるEOの力強い存在感にやられてしまった。

 

 

 

 

 

ネタバレあり

 後半、唐突にイザベル・ユペールのカメラ目線のカットに切り替わる。彼女が演じる役(伯爵未亡人らしい)はEOを連れてきた司祭と何やら性愛的な関係性もあるようだが、二人の関係は明確には描かない。ユペールはこの場面にしか登場せず、かなり出番は少ないが存在は抜群。無言で司祭に圧をかけていくところは怖すぎた。この場面での二人のやりとり、その意図するところが掴みにくいが、自分なりに考えてみた。

 二人の間にはどうやら前々から金銭的な問題があるようで司祭の債務を彼女が肩代わりするのが常らしいが、そのことで彼女はキレている。かなりピリピリした空間なのだが、この場面でのラストカットで二人はキスをしようとする。つまり、色々問題があっても結局二人の関係性は性愛的なところに収束する。ここでEOはサーカスで自分を愛してくれたカサンドラのことを思い出したのか一人旅立つ。ポスターにもなっている、EOが橋の中央にいるショット。背景では大量の水が流れ落ちているが、それが段々と逆再生で収斂していく。そして、時間が戻ったかのように、EOが最終的に行き着くのはサーカスと同じく動物が人間に支配されている場所だ。本作では途中途中で人間とは独立した野生動物の存在が強調される。また、力強く走る馬に思いを馳せるような場面も多い(最終的には、暴れる馬を横目に立ち去るEOが最高なのだが)。つまり、自由を望んだり実際自由になることが出来ても、最終的にEOは人間の下に存在するロバだったという運命論的な着地に見える。それが前述の司祭と未亡人の関係性と相似しているのだ。

 

 

『MEN 同じ顔の男たち』感想 グロテスクな男たち(ネタバレあり)

 


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ネタバレあります

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 試写会にてアレックス・ガーランドの『MEN 同じ顔の男たち』を観た。なかなか良かった。

 アレックス・ガーランドはこれまで「ハードSFっぽい何か」を撮ってきた。本作はその「っぽい何か」の部分を煮詰めたような印象だった。そして、ガーランドはビジュアリストでもあるが、ビジュアルとテーマ性の結びつきという意味では、個人的には過去作の中で最も彼の手腕が発揮されていたのではないかと思う。

 本作はかなり寓話性が高い。例えば裸の男はジェシー・バックリー演じるハーパーに上腕を裂かれるが、他の男たちも同期するように腕が裂かれている。つまり、彼らは個人ではなく、集団で一つの「男性という存在」を形成している。そして彼らは皆同じ顔であり(その理由などは一切分からないが、そこはどうでもいい)、それによって有害な男性性がより一般的に、強調されて表現されている。そういう男性性を表す諸々の所作の演出も細かくて好印象。

 特にインパクトが強いのはラスト、男たちが苦しみながらお互いを"産み合い"ながらハーパーに迫っていくという異常な展開。これはホモソーシャルな男性社会一般を表しているようにも見えるし、同時に彼女の死んだ夫と同じく「自分たちは傷ついているんだから、女性はもっと男性に優しく(愛する)するべきだ」という主張を表しているようにも見える。ここで素晴らしいのがジェシー・バックリーの表情。始めこそホラー映画的な怖がるリアクションを見せていた彼女も、冗長に繰り返される男たちの主張に飽き飽きしたのか、最後には"産み合う"彼らを見ても真顔のまま、冷静な素振りを見せる。神父は「夫に謝らなかったあなたに責任がある」と言ったが、このような有害でくだらない主張に対しては毅然とした態度で然るべきだと、ちゃんとビジュアルだけで表現している。

 ホラー映画という意味では、ジャンプスケアに頼っていないところがとても良かった。例えばトンネルの場面では、トンネルの先の方に人と認識できるか怪しいくらい小さな人影を感じる。それが段々と大きくなっていき、こちらに近づいてくることが分かる。ハーパーの家に裸の男が侵入する場面でも、敢えて音などでその存在を強調したりせず、何気なく画面に映り込む。こういう、単に驚かすのではなく、日常に紛れ込む「不自然」を観客に自発的に気づかせることで恐怖を生むタイプの演出が好きだ。

 上記のように、かなり良い部分がある映画ではあったが、少し物足りない印象も残る。本作で描いているのは、男性の有害性をビジュアルによって重ね重ね描くというものでシンプル。それは素晴らしいのだが、実際の画面内で起こる物語的展開は少なく、起伏に欠けているようにも感じた。

 

第35回TIFF『パシフィクション』トロピカル・ノワールな『地獄の黙示録』(ネタバレなし)


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 東京国際映画祭で『パシフィクション』を観た。アルベルト・セラの映画はこれが初鑑賞。事前にかなりつまらないという評判を聴いていたので不安だったが、好きな映画だった。

 舞台はフランス領ポリネシア。そこに赴任したブノア・マジメル(『ピアニスト』)演じるフランス人高等弁務官デ・ロールが核兵器実験の噂を聞きつけ、段々と陰謀の匂いを嗅ぎつけていく…という話。

 賛否両論になるのは確かに分かる。陰謀を巡るフィルム・ノワール風の映画というと『チャイナタウン』が思い出されるが、そういう感じではない。真実は何かというサスペンスはなく、ひたすら冗長な会話劇が繰り返されるのだ。話が全然動いていないようで、まるでリゾート地にいるかのようにゆったりとした感覚になる。正直、娯楽性は少なく体感時間は長い。

 この映画を『地獄の黙示録』になぞらえているレビューがあったが、確かに似ている。物語が進むにつれて抽象度が増していき、最後には自分は何を見せられているのかすら分からなくなっていく。本作の映像は他作品ではあまり見ない感じのもので、少し安っぽさも感じる(これが観客を妙な浮遊感に陥らせてくれて、良いのだが)。その中で異様な、中盤の海上サーフィンの場面は『地獄の黙示録』でのナパーム弾投下のシーンのように圧倒的リアリズムを与えている(ここで意識が覚める)。

 本作の意味がないように見える会話劇の背景にあるのは、核実験にまつわる陰謀(噂話)だ。実際、フランス領ポリネシアでは核実験が繰り返されている一方で、フランスによる経済的援助が島民に恩恵を与えていた側面もあるらしい。ブノア・マジメル演じるデ・ロールは立ち位置には良心的だが、例えばポリネシア人の民族舞踊(?)を演出するデ・ロールの姿には無自覚な植民地主義の痕跡を感じる。そういう歴史的背景を匂わせながら、核実験という「世界の終末感」に向かって冗長な会話劇が続いていく…奇妙な味わいで個人的には好きな作品だった。

 

ちゃんとヒーロー映画だった『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』感想(ネタバレあり)

 『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』を観た。チャドウィック・ボーズマンの死があって、どうなることかと思っていたが良かった。もちろんボーズマンに捧げられた作品ではあるが、『ブラックパンサー』の続編として良かった。

 この映画には「継承」と「救済」というキーワードを感じた。前者はMCUフェーズ4のトレンドでもある。後者前々から言っているのだが、ヒーロー映画には「誰かを救う瞬間」を入れて欲しい。それも、相手が自分と近しい関係にある(例えば恋人ではなく)かどうかに拘わらず救って欲しい。自分の利害関係を超えた救済行為の方がより純粋な善だからだ。個人的にMCUではその要素が不足しているなと思っていたのだが、この映画の中にはちゃんとそういう瞬間がある。例えばネイモアのワカンダ襲撃シーンではオコエが洪水から子供を守り、ラモンダは自分を犠牲にしてリリを助ける。シュリも、ナキアに撃たれて瀕死のタロカン人を救おうとしていた。こういう場面があるだけでも、単にバトルするだけの映画よりも遥かにヒーロー映画しているなと感じる。勿論、ある特定のスーパーヒーローというのは(ほぼ)不在の映画であるが、この映画全体で「ヒーロー映画的なもの」を魅せているのだ。さらに良かったのは、これらが単に羅列されているだけでなく、シュリが主人公になり得た所以を表す場面に間接的にではあるが繋がっていくところだ。

 ヒーロー映画の主人公は単に物理的に強いだけではヒーローとは呼べない。精神的な強さがヒーロー/ヴィランを分ける。ヒーロー映画ではしばしば、主人公が選択を迫られてその境目に立たされる。今回はシュリがネイモアを殺さないという選択をした。降伏すればタロカンの民(秘密)を守るというのだが、その背景の見せ方が良い。彼女が刃をネイモアに突きつけながら、回想シーンの数々が時系列を遡るように挿入される。ワカンダとタロカンの無実な市井の民の姿が重ね合わされて映しだされる。洪水で破壊された町は逆再生によって元に戻る。この映画では敵対しないはずの両国が互いの復讐心によって、市井の人々を巻き込みながら破滅していく様子が描かれていた。それが時系列を遡るモンタージュによって、両者が本来どういう存在であったかが原点に立ち戻っていく形で思い出されるのだ。その原点とは、両者とも本来は人々を守る存在であり、そのうえで最後にティ・チャラの葬儀のショットが提示されることで、亡きブラックパンサーの偉大な精神性までも示される。チャドウィック・ボーズマンへの敬意と追悼の意を表明しながら、ちゃんと初代ヒーローから次世代ヒーローへその精神性が継承されていく様子が描かれているのだ。その意味で、「ボーズマンへの追悼映画としては良いがヒーロー映画としてはダメ」という意見も見るが、個人的にはちゃんとヒーロー映画していたと思う。

 ただ、不満点がないわけではない。話運びは冗長気味で、先ほど褒めたシュリとネイモアの物語も、長尺のわりにはあっさりに感じる。特に最終決戦でシュリがブラックパンサーになる件はもっと丁寧に見たい。本当ならカタルシス溢れるシーンになるだろう新ブラックパンサー誕生も、その後すぐに彼女が復讐心に囚われてる...という話があって結構せわしないため今ひとつ盛り上がらない。ロス捜査官の扱いも勿体ない。ヴィヴラニウム探査船が襲撃されたとき、彼は殺された人々は友人だったと言うセリフがあったので、そこに関するドラマもあるのかと思ったがそこはあまり触れられず。リリは「継承」を象徴するキャラクターではあるが、彼女の物語は今回の話の中ではそこまでかみ合っている感じはしなかった。「ワカンダ・フォーエバー」と言うベストなタイミングももっとあった気がする。

 そういう不満点はありつつ全体としては良かった。MCUの中にありながらゲスト出演などは特になく、単独性を保っていたのもかなり好印象。ラストのティ・チャラの息子の件もとても好きで、今回はエンドクレジット後の映像が無いのも良かった(「席を立たないでください」アナウンスは空回りだったが)。