otaku8’s diary

映画のこととか

『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』感想(ネタバレあり)

 

 ネタバレありです!

 

 

 

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 結論としては,非常に楽しく多幸感に包まれた同窓会のような作品でありながら,MCUスパイダーマン三部作の最終話かつ「トム・ホランド版スパイダーマン」の誕生譚,そして歴代スパイダーマンのその後の物語にもなっている満足度の非常に高い作品だった.一方で,不満点が無いわけではない.現時点で,日本人が多い劇場(試写会)と海外の方が周りを占めるような劇場で計二回観ている.後者はやはり鑑賞中も皆んな盛り上がっていたが,前者でも歓声があがる場面がいくつかあった.普段は鑑賞中は静かにしましょうというのが当たり前になっているが,こういう体験も良いものだと実感した.

 まず,いきなりだがファンの予想通りトビー・マグワイアとアンドリュー・ガーフィールドが登場した.予想の範囲内ではあるが,ここまで期待されて出てこなかったら逆にファンから怒られるだろう.予想していても実際にスクリーンに現れたとき,三人のピーターが同じショットにいる場面にはテンションが上がったし,現実感はなかった.何より嬉しかったのはトビーもアンドリューも,ヴィランたちを演じた俳優もみな生き生きと役を再演していたことである.これだけで十分にありがとうございますという気持ちだ.

 本作には三人のピーター・パーカーが出てくる.劇中のように「ピーター 1」みたいにしても良いのだが,混乱しそうなので.俳優名を付けることにする(「トムピーター」など).

好きな小ネタ

 歴代ピーターが集結するため,過去のスパイダーマン映画からの小ネタも多々あり楽しめた.先に好きな場面をいくつか挙げていこう.

実験室

 皆んなでヴィランたちに対する解毒剤を創る場面.

僕がピーター

 ネッドが「ピーター」と呼びかけたら三人のピーターが同時に反応してしまう場面.ありがちなコメディではあるが,クスッときた.この場面も含めて三人のやりとりは全体的に,最近ミーム化しているアレを思い出して面白かった.

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アニメ『スパイダーマン』から『ダブル・アイデンティティ』
親友のまま

 トビーピーターから「親友は宿敵と化してしまった」という話を聞いたネッドはトムピーターに自分はそうはならないと伝える.ここは原作のネッドがホブ・ゴブリンになってしまうことに対する場面であり笑いどころではあるが,それ以上に『スパイダーマン3 』のハリーの死を想って切なくなる.本作はこのように,「過去作を想起させて感慨深くなってしまうギャグシーン」が沢山ある.

恋人と

 『アメイジング・スパイダーマン』ではピーターとグウェンは互いに額を近づけるような場面が多い.本作では額をくっ付けるトムピーターとMJを遠くからアンドリューピーターが見つめている場面がある.彼は何を想っていたのだろう?彼の表情はどこか切なく見える.失ってしまったかつての輝きを二人の関係に見出しているようにも感じられる.このシーンがあることで,後に彼がMJを救う瞬間がより感慨深いものになる.

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互いに額を近づけるピーターとグウェン

 ここでのトビーピーターとアンドリューピーターの会話も良い.トビーピーターは(彼の世界の)MJと何とかやっていけているようで嬉しい.

手首から糸

 トビーピーター以外の二人はウェブシューターを使わなければ糸を出すことが出来ないので,手首から直接糸を発射するトビーピーターを見て二人は驚く.そのことについて後に追及されたトビーピーターはあまり答えたくない様子.サム・ライミ版でスパイダーマンの糸が生体糸であるのは,高校生がウェブシューターのような装置を作れるはずがない,という理由もあるが(そもそもあのスーツも作るのは難しいと思う),他にもピーター自身の男性性のメタファーという意味合いもあると言われている.例えば,本作でも言及されていたが,『スパイダーマン2』ではヒーロー業とプライベートの両立が上手くいかず,精神的に追い込まれている時期に突然糸が出なくなる(糸だけではなく,能力全体の低下ではあるが).あまり人には言いたくない話題だろう.

My back!

 最終決戦直前に腰の調子を整えるトビーピーターとそれを手伝うアンドリューピーター.ここは『スパイダーマン2』で一度はスパイダーマンを辞めたピーターが再びスパイダーマンに戻ろうとした場面を思い出させる.ピーターは一作目のときのようにビルの屋上間を飛び移ろうとするが,距離が足らずに落下する。そこで彼が言った台詞が"My back!"である.スパイダーマンとしての復帰(back)と落下して腰(back)を痛めてしまったことのダブルミーニングになっている.

MJ救出

 最終決戦にて,落下するMJをアンドリューピーターが助ける場面.『アメイジング・スパイダーマン2 』にて落下するグウェン・ステーシーを救うことが出来なかったことに対応するシーンだ.無事に救出し,思わず感極まるアンドリューピーターが良い.彼が自らを救済した瞬間とも言える.

ピーターの犠牲

 最終決戦,トムピーターは怒りに任せてグリーンゴブリンのグライダーの刃をノーマンに振りかざして殺そうとする場面.トビーピーターがグライダーを受け止めてノーマンを救うが,ノーマンは背後からトビーピーターを刺してしまう.ここは『スパイダーマン』の最後の戦いもしくは『スパイダーマン3』でハリーがピーターを庇うシーンを思い出させる.『スパイダーマン』ではノーマンはピーターを殺そうとして却って自らがグライダーの刃で命を落とす.トビーピーターは復讐心に駆られたトムピーターを救った.その姿はかつて復讐心に燃えてベンおじさん殺害容疑者を死なせた自らの過ちを繰り返すなという強いメッセージと,今回は「グリーン・ゴブリン」からノーマンを救おうという彼の意思も感じられる.ノーマンに背を向ければ危険なことはトビーピーターもわかっていただろうが,彼は咄嗟に行動した.その行動の裏にはかつて自分を庇ったハリーの存在も大きかったかもしれないし,そもそも彼は命を懸けて人を救う,そういう人物だった(ライミ版では人を「救う」場面が多かった).トビーピーターが身体を張ってトムピーターに「なすべきこと」を示す場面だった.このシーン,トムピーターはグライダーをノーマンに振り下ろすが,通常このようなシチュエーションでは主人公自らの意思でグライダーを棄てるだろう.鑑賞時はこの展開に引っかかったが,トビーピーターがその刃を受け止めることこそが「スパイダーマン映画の集大成」としては重要だったと今は考えている.

黒人のスパイダーマン

 エレクトロことマックスがアンドリューピーターと会話する場面.マックスの「スパイダーマンはずっと黒人だと思っていた」というセリフ.黒人のスパイダーマンといえば『スパイダーマン:スパイダーバース』のマイルズ・モラレス.そのうち実写でも見られるかも?

 

 他にも小ネタは色々あり

・フラッシュの著書が『フラッシュポイント』(DCのフラッシュ関連のコミック).

・デアデビルことマット・マードックがサラリと登場.

・ピーターとMJが高校の屋上で会話する場面では壁に "Ditko"という文字が見える(スパイダーマンの創作者スティーヴ・ディッコ).

・最終決戦ではクレイヴン・ザ・ハンター,ライノ,ブラック・キャットなどスパイダーマン関連のキャラクターのイメージが空に浮かび上がる.

など探せばいくらでもネタがありそう.

 

本作はスパイダーマン・ビギンズだった

 最初に書いたように本作はトム・ホランド版スパイダーマンの誕生譚になっている.MCUの中でスパイダーマンは『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』〜 『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』までで5回登場しているが,本当の意味では本作が第一作目と言えるだろう. 

怖い大人と子供たち

 ミステリオによってスパイダーマンの正体がピーター・パーカーであることを全世界に知られてしまった前作のラストから物語は始まる.その影響は彼の身近な人々にも及んでしまう.状況を打破するために彼はドクター・ストレンジに助けを求め,全世界から「スパイダーマン=ピーター・パーカー」という記憶を消し去ろうとするが,その儀式の途中途中で自分の正体を知っておいて欲しい人々の存在を思い出し,何度も儀式を中断させて世界を危険に晒してしまう.彼がストレンジに頼み込んだ直接のきっかけは,MJとネッドがピーターに親しいという理由でMITを落とされてしまったからだ.ここで,ピーターがそもそも大学に懇願もせずにストレンジに頼み込んだことを咎められる場面(そしてこれが本作の事件の発端となる)は彼がまだ子供であり,自らの行動とその責任についてあまり考えられていないことを示す良いシーンである.今回のピーターは自らの行動によって歴代スパイダーマン史上最大級の代償を払うことになる.世界にあまりに多大な迷惑をかけてしまったので,そこを受け入れられるかは評価の分かれ目になるだろう.

 「子供」といえば,ジョン・ワッツ版のスパイダーマンではピーターと彼の仲間達が前のシリーズに比べて幼いというのがポイントとなる.『スパイダーマン』、『アメイジングスパイダーマン』のピーター・パーカーはともに高校生であったが,トビーは27歳,アンドリューは28歳と実年齢はかなり上だった.対するトムは『スパイダーマン: ホームカミング』のとき21歳と若い.MJ,ネッドを演じるゼンデイヤ,ジェイコブ・バタロンも同い年であり,彼らの雰囲気も相まって,3人が一緒にいる場面はとても初々しいものになっている.今回,三人は大学進学を目指しているというのも良い.スパイダーマンにはやはりこういう地に足のついた物語(親近感が湧くような)が必要だ.

 ジョン・ワッツは「怖い大人」を描くのが得意だ.また,スパイダーマン自体も「怖い大人」に対峙するキャラクターであり(一番怖い大人はJ.J.ジェイムソンかもしれない),その意味でジョン・ワッツは適任だろう.そして本作では歴代の怖い大人たちが大集合する.その中でも,今回のメインヴィラン的な立ち位置なのがノーマン・オズボーンだ.ウィレム・デフォーの,当時と変わらない怪演に思わず笑顔になってしまった.ゴブリンとトムピーターの戦いは暴力的で,視覚的にも非常に良かった.一度目の戦いはプロレスのような大胆な感じ,二度目の戦いは『ジェダイの帰還』の皇帝の王座の間の場面を思い起こさせる.ノーマンは『スパイダーマン』でも悪い先輩のような振る舞いをしていたが,今回もそうだった.トムピーターに対して「大きな力を与えられながら,お前はあまりにも弱い(意訳)」と言うノーマン.「大きな力」とはピーター自身が持つ能力とトニーから授かったアイテムの数々のことだろう.確かにトムピーターは歴代スパイダーマンの中でもトップレベルのスペックを持つが,ノーマンにコテンパンにやられてしまう.彼の弱さとは何か?一言で言えば,「未熟さ」だろう.先程も言ったように彼は若くまだ子供である.彼は非常に優しく,ヴィラン達を救おうとするがその結果を考えていない.つまり,今回の事件の発端もそうだったが,「大いなる力には大いなる責任が伴う」ということを今ひとつ理解していない.これは,これまでベンおじさんが歴代ピーターに伝えてきたことでもある.

メイおばさん

 ここで話は変わるが,本作でメイおばさんはピーターの目の前で死んでしまう.個人的にはここが一番のサプライズだった.自分は親と死別する子供というシチュエーションに弱いので,泣きそうになってしまった.最期まで気丈に振る舞い,ピーターに対して弱さを見せないその姿が涙を誘う.死ぬ直前,彼女は

You have a gift. You have power. And with great power, there must also come great responsibility.

と彼に伝える.そう,メイおばさんはトムピーターにとってのベンおじさん的な人物だったのだ!てっきりMCUではこれまでこの役割を担っているのはトニー・スタークだと思っていた.ピーターに自分の持つ力の使い道を指南する人物だ.確かにMCUにおいて,ピーターはトニーから授かった大いなる力とそこに伴う責任について問われてきたが,トニーの死はピーターの行動が原因ではなかった.一方で本作でメイおばさんが死んでしまうのはピーターがヴィランたちを救おうとしたためであり,彼女の存在はより直接的に「スパイダーマン」誕生のきっかけとなる.

 本作でのメイおばさんは支援施設でボランティア活動しているなど利他的な行動が目立つ.彼女はピーターに「正しい行動をしなさい」と言う.恐らく勝てないと分かりながら,ピーターを庇ってグリーン・ゴブリンに立ち向かってもいた.本作の彼女は身をもって,ピーターにあるべき姿を示していたのだ.そもそも自分はメイおばさんが好きだ.特にローズマリー・ハリス演じるライミ版のメイおばさんが好きなのだが,その理由の一つは彼女がベンおじさん亡き世界でスパイダーマンを導く大きな存在だったからだ.『スパイダーマン2』では「スパイダーマン」が人々にとってどのような存在なのかを,『スパイダーマン3』では「自分を許すこと」の大切さを説いていた.そしてそれは,それぞれ後にピーターからドック・オクとサンドマンに伝えられ,彼らを救った言葉である.メイおばさんはスパイダーマンというヒーローにとって重要な存在.MCU版のメイおばさんを演じるマリサ・トメイはハマリ役だし,今までも好きではあったがここにきて本領発揮したという感じだ.

ピーター・パーカー

 歴代ピーターがアッセンブルする.シリーズを追ってきた人からするとこれだけでも興奮ものだが,単なるサプライズで終わらせないのが本作の素晴らしいところ.メイおばさんの死に対して,悲しみと怒りに呑まれるピーター.そこで彼を善い道へと導くのが二人のピーターだ.別々のユニバースから来た三人は相違点が多いが,一方で共通点もある.自分の行動によって大切な人を失ってしまったピーターは,「大いなる力には大いなる責任が伴う」という言葉をもってヒーローとして再起する.それは三人のピーターに共通し,スパイダーマンの根幹をなす過程である.今回は三人の対話によりこの過程を浮き彫りにしており,非常に巧い.ここでアンドリュー・ピーターは失ってしまった大切な人として,グウェンを挙げる.この一言は後にMJを救う場面に効いてくる.また,トビーピーターはベンおじさんが殺された事件に言及するが,これは後にトムピーターがノーマンに振り下ろしたグライダーを彼が受け止める場面に効いてくる.過去作で語られた二人のピーターの物語の重みがここにある.

親愛なる隣人

 子供だったトムピーターは大いなる力とそれに伴う責任について学び,そして「大人たち」を救い,精神的に成長した.自分の存在の記憶を世界から消すという代償はかなり大きいが,他人の幸せを優先するその姿は彼なりに成長した証に見える.ピーターが幸せそうなMJとネッドを見て,自分の正体を言わずに店を出るあの場面はとても良いと思う.彼は自分の力を他人のために使うことを決意した.映画はピーターがお手製のスーツに身を包み,謎のヒーローとして活動し始めるところで終わる.『スパイダーマン』『アメイジング・スパイダーマン』のラストを思わせる,コーラスアレンジされたトム・ホランド版スパイダーマンのテーマ曲をバックに摩天楼をスウィングするスパイダーマン.「親愛なる隣人,スパイダーマン」の物語が始まるこのラストはMCUスパイダーマンに対して自分がずっと待ち望んでいたもの.

ちょっとした不満

 気になったところはサンドマンとリザードが元の姿に戻る場面は恐らく,それぞれ『スパイダーマン3』と『アメイジング・スパイダーマン』のシーンを流用していることだ.前者はサンドマンが水によって身体が崩れてしまう場面の逆再生,後者は最後の戦いでリザードがコナーズ博士の姿に戻る場面である(こちらは未使用のカットかも?).気にしている人はあまりいないようだが,自分はかなり気になってしまった.演じるトーマス・ヘイデンチャーチとリス・エヴァンスはクレジットされているので,声は新規で当てているだろう.映画で過去映像を再び使うこと自体は珍しくないが,他のキャラクターがちゃんと新規映像で,かつヴィラン達が「救われる」重要な場面であるので,大きなノイズになってしまったことは否めない.あと,そもそもヴィランたちの扱いが少し雑に感じるところもあり…

 また,「ピーター・パーカーがスパイダーマンであるということを知っている者が呼び寄せられた」「ピーター・パーカーがスパイダーマンであるという記憶が世界から抹消された」という展開も正直ルールが曖昧でまだよくわかっていない.エディ・ブロックには何が起こったのか?(エディはシンビオートの何らかの力によってストレンジの呪文とは違うルートでスパイダーマンの正体を知ったのか?),「ピーター・パーカー=スパイダーマン」という事実はあらゆる媒体に記録されているはずである.それらも消えたのか?(説明されていたらすみません).まあ,そこはあまり重要ではないので大きな問題ではないが.

 あとは,毎回言っていることであるしもう言いたくはないのだが,自分はヒーロー映画では「ヒーローが市井の人々(出来れば元々ヒーローに近しい者でない)を救い,そして人々の側からヒーローに歩み寄っていく場面」が欲しいのだ.「元々ヒーローに近しい者でない」というのは,ヒーローの恋人や家族,友人ではない人々という意味で,たとえ自分に直接の利害関係がない者であっても率先して彼らを救う,その精神性に感動するのだ.その点完璧だったのが『スパイダーマン』と『スパイダーマン2』である.

 

otaku8.hatenablog.com

 

 本作の冒頭では一般市民がスパイダーマンに対して牙を剥けていた.だからこそその対比として上記のような場面が欲しかった.また,このブログでも多用しているように,本作はピーターが人々を「救う」話でもある.ならばもう少し一般市民まで視野を広げて欲しかったとは今は少し思う.とはいえ,そこまでする余裕はないだろうし,今回はドクター・ストレンジの魔法を使ってかなりトリッキーな展開にもなっているから,あまり気にはならなかった.ちなみ前半の橋の場面はその意味でも良かった.

 

何はともあれ

 エンドロールではアヴィ・アラドに感謝が述べられていた.彼はMCUより前のマーベル映画(一部MCUあり)の多くを製作してきた人物であり,当然ライミ版スパイダーマンやウェブ版スパイダーマンにも携わってきた方.自分も深く感謝しています.