otaku8’s diary

映画のこととか

『こうして絶滅種復活は現実になる:古代DNA研究とジュラシック・パーク効果』感想

 


こうして絶滅種復活は現実になる 古代DNA研究とジュラシック・パーク効果 [ エリザベス・D・ジョーンズ ]

 

 ちょうど『ジュラシックワールド/新たなる支配者』が公開されたタイミングで本書が出版されたので早速読んでみた。本書は「セレブリティ科学」について書かれてある。馴染みのない単語だが、大雑把に言えば、科学とメディアはお互いに影響し合いながら発展していく(相互作用する)ということだ。『ジュラシックパーク』が発表される前から「古代のDNA」を抽出しようとする研究は行われていたが、それが小説・映画の登場でメディアがこの分野に注目、研究者たちの気持ちとは別に「恐竜の復活」が求められるようになっていった。一方で研究者の側もその「熱」を自分たちの研究に利用していく...といった具合だ。

 勿論、映画(特にSF映画)は現実の科学から色々を引用している。逆に科学も映画に影響され得る。そのような映画と科学の相互作用の例は、最近だと『インターステラー』の製作が記憶に新しい。本屋では「映画(創作)の中の科学」といったテーマを扱った本をよく見かける。つまり科学が創作に与えた影響について解説しているのだが、逆に創作が科学に与えた影響を中心に議論している本をあまり見かけない(自分が見過ごしているだけかも)。本書では創作が現実の研究世界に与えた混沌を詳細に記述していて面白かった。また、古代DNA研究についての話が主だが、科学がどのようにメディアを巻き込み巻き込まれるのかを考えさせられるという意味で、サイエンス・コミュニケーション全般についての本だといえる。

 古代DNA研究は決して恐竜の復活を目指したものではなかったが、例えば映画の監修も務めたジャック・ホーナー博士は「先祖返り」によって鶏から恐竜を甦らそうとしている。


 

 

また、本書にも登場するジョージ・チャーチらによって、マンモスを「復活」させようというプロジェクトも進行している。

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ジュラシック・パーク』の世界は意外にも近づいている気がしてしまう。

 科学者が「恐竜復活」の話題に乗っかるのは研究を行うためのリソースを集められるからだ…という話が出てくる。大衆の興味関心は絶滅種の復活にあり、それを研究者たちも利用していくのだ。しかし、上記のように古代生物の復活が現実味を帯びてくると倫理的問題が顕在化してくる。

 これは『ジュラシック・パーク』シリーズの内容ともリンクする。『ジュラシック・パーク』に登場する古代生物はあくまで「人々が見たい生物」であり、本来の姿を再現したものではなかった。『ジュラシック・ワールド』ではインドミナス・レックスというハイブリッド恐竜はまさにその究極型だ。ジョン・ハモンドらはそういった「恐竜」を使って大衆の需要に応えてビジネスをする。一方で彼らの下で働くヘンリー・ウーはそのビジネスに乗っかることで研究者としての地位を確立する。マルコム博士(マイケル・クライトン)はそこにある倫理的問題を指摘する。

 さらに、この『ジュラシック・パーク』という映画自体も大衆の人気にあやかっている。このシリーズは最新の学説を所々取り入れてはいるが、やはり「人々の見たい恐竜」を提供する(ここでも、パークの古生物は「人工的」だという設定が活きている)。例えば、実際のヴェロキラプトルはあんなに大きくない。一方で、このような「虚構」の恐竜たちに魅せられた子供たちが「現実」の古生物に興味を持って研究者の道を歩んだケースもある。

 この『ジュラシック・パーク』というコンテンツは、「サイエンス・コミュニケーション」を考えるのに、この上なく重要な作品なのかもしれない。