『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』を観た。チャドウィック・ボーズマンの死があって、どうなることかと思っていたが良かった。もちろんボーズマンに捧げられた作品ではあるが、『ブラックパンサー』の続編として良かった。
この映画には「継承」と「救済」というキーワードを感じた。前者はMCUフェーズ4のトレンドでもある。後者前々から言っているのだが、ヒーロー映画には「誰かを救う瞬間」を入れて欲しい。それも、相手が自分と近しい関係にある(例えば恋人ではなく)かどうかに拘わらず救って欲しい。自分の利害関係を超えた救済行為の方がより純粋な善だからだ。個人的にMCUではその要素が不足しているなと思っていたのだが、この映画の中にはちゃんとそういう瞬間がある。例えばネイモアのワカンダ襲撃シーンではオコエが洪水から子供を守り、ラモンダは自分を犠牲にしてリリを助ける。シュリも、ナキアに撃たれて瀕死のタロカン人を救おうとしていた。こういう場面があるだけでも、単にバトルするだけの映画よりも遥かにヒーロー映画しているなと感じる。勿論、ある特定のスーパーヒーローというのは(ほぼ)不在の映画であるが、この映画全体で「ヒーロー映画的なもの」を魅せているのだ。さらに良かったのは、これらが単に羅列されているだけでなく、シュリが主人公になり得た所以を表す場面に間接的にではあるが繋がっていくところだ。
ヒーロー映画の主人公は単に物理的に強いだけではヒーローとは呼べない。精神的な強さがヒーロー/ヴィランを分ける。ヒーロー映画ではしばしば、主人公が選択を迫られてその境目に立たされる。今回はシュリがネイモアを殺さないという選択をした。降伏すればタロカンの民(秘密)を守るというのだが、その背景の見せ方が良い。彼女が刃をネイモアに突きつけながら、回想シーンの数々が時系列を遡るように挿入される。ワカンダとタロカンの無実な市井の民の姿が重ね合わされて映しだされる。洪水で破壊された町は逆再生によって元に戻る。この映画では敵対しないはずの両国が互いの復讐心によって、市井の人々を巻き込みながら破滅していく様子が描かれていた。それが時系列を遡るモンタージュによって、両者が本来どういう存在であったかが原点に立ち戻っていく形で思い出されるのだ。その原点とは、両者とも本来は人々を守る存在であり、そのうえで最後にティ・チャラの葬儀のショットが提示されることで、亡きブラックパンサーの偉大な精神性までも示される。チャドウィック・ボーズマンへの敬意と追悼の意を表明しながら、ちゃんと初代ヒーローから次世代ヒーローへその精神性が継承されていく様子が描かれているのだ。その意味で、「ボーズマンへの追悼映画としては良いがヒーロー映画としてはダメ」という意見も見るが、個人的にはちゃんとヒーロー映画していたと思う。
ただ、不満点がないわけではない。話運びは冗長気味で、先ほど褒めたシュリとネイモアの物語も、長尺のわりにはあっさりに感じる。特に最終決戦でシュリがブラックパンサーになる件はもっと丁寧に見たい。本当ならカタルシス溢れるシーンになるだろう新ブラックパンサー誕生も、その後すぐに彼女が復讐心に囚われてる...という話があって結構せわしないため今ひとつ盛り上がらない。ロス捜査官の扱いも勿体ない。ヴィヴラニウム探査船が襲撃されたとき、彼は殺された人々は友人だったと言うセリフがあったので、そこに関するドラマもあるのかと思ったがそこはあまり触れられず。リリは「継承」を象徴するキャラクターではあるが、彼女の物語は今回の話の中ではそこまでかみ合っている感じはしなかった。「ワカンダ・フォーエバー」と言うベストなタイミングももっとあった気がする。
そういう不満点はありつつ全体としては良かった。MCUの中にありながらゲスト出演などは特になく、単独性を保っていたのもかなり好印象。ラストのティ・チャラの息子の件もとても好きで、今回はエンドクレジット後の映像が無いのも良かった(「席を立たないでください」アナウンスは空回りだったが)。