otaku8’s diary

映画のこととか

『ブラックアダム』感想 肉体の圧倒的な説得力(ネタバレあり)

ネタバレあり

 

 

 

 

 

 

 

 特別試写会で『ブラックアダム』を観たが、感想を書くタイミングを逃していたのでそろそろ書いてみる。ロッテントマトでは評論家受けが悪く、一般観客に好評といった感触だが、まさにそんな映画。個人的には楽しめたが、言いたいこともある作品だった。

 まず自分はDCが好きなので映画を作ってくれてありがとうという気持ち。更にずっと実写化して欲しかったドクター・フェイトをピアース・ブロスナンが演じたという奇跡に感謝している。

 映画は観客の感情よりも早く展開が進むので、何も前提知識がない人が観たらどう思うか気になるところだが、自分は楽しめた。自分は常々「ヒーロー映画では市井の人々を描くべき」と言っているが、その意味では本作は良かった(「みんなで敵と戦おう!」の件は若干モヤッとしてしまったところもあるが)。また、JSAが「正義」の活動が、結果的にではあるが市民の反感を買っているという部分も好き。また、これも常々言っていることだが、ヒーローがヒーローたる所以は拳の力ではなく、精神的な部分にあって欲しい。本作ではアダムの息子のヒーロー的な強さが利他的な精神であること、対してその息子を殺された怒りがブラックアダムの動機であるがそれは「ヒーローはアダムだった」という偽の歴史に塗り替えられてしまう。この展開も良かった。

 本作の特徴はやはりドウェイン・ジョンソンが主役であることだ。最近「MCU俳優はスターではない」という発言があった。これの賛否は置いておく。『映画の教科書』という本では「俳優」と「スター」は明確に区別されていて、役を通じて自己のペルソナを演じているのをスターとしている。その意味では本作は間違いなく「スター映画」だ。例えばトム・クルーズと聞けば誰もが共通して思い浮かぶトム・クルーズ像がある。映画でどんな役を演じていてもトムに見えるのだが、それは決して彼の演技が悪いわけではなく、スクリーン中のキャラクターに観客が「トム・クルーズというもの」を見出すのだ。ブラックアダムはどう見ても「ロック様」である。彼についてのイメージは人それぞれ違うと思うが、やはり「破壊"神"」を名乗るだけの説得力を与えてくれる数少ない人だろう。彼の肉体が「こいつには敵わない」という設定に対して圧倒的な説得を持たせている。

 ただ、この「ロック様力」が良くも悪くもであり、特にヴィラン映画につき物の「お前ヒーローだろ」問題が本作にもある。確かにブラックアダムが正義のヒーローではないということはちゃんと描かれていたように思う。個人的にはヴィラン映画としては『ヴェノム』や『(ザ・)スーサイド・スクワッド』よりもしっかりしていたと思う。とはいえ本作のブラックアダムは『ターミネーター2 』のT-800のようなものだから、どうしても良い奴感が拭えない。『ターミネーター2 』後のシュワルツェネッガーが一作目の殺人機を演じることは非常に難しいだろう(パブリックイメージのために)が、同じように、このブラックアダムがシャザムやスーパーマンと本気で戦うようには思えない。頑張れば話が通じそうなのだ。