ヒッチコックの映画論のなかに、「テーブルの下の爆弾理論」がある。「テーブル下の爆弾の存在を観客のみが知っている場合、サスペンスが成立する」というものだ。つい先日、『ザ・ボーイズ』S4第3話『我らは赤旗を掲げ続ける』を観ていたら、ふとこの理論を思い出した。
この第3話ではホームランダー(アントニー・スター)が疑わしき一般人の尋問に立ち会うことになる。ホームランダーは基本的に「ただ立っているだけ」だが、尋常ではない緊張が空間に張り詰める。これは、我々がホームランダーの素性を知っているために起こるサスペンスである。彼の素性について重要なことは、
①彼が圧倒的な力を持っていること
②彼が人を殺すための心理的障壁が限りなく低いこと
だといえる。特に①が大切だと考えている。
ホームランダーは圧倒的な力を持っており、殆どの人物にとって彼との対峙は「死」を意味する。つまり、彼は死神のような存在である。視聴者はそれを理解しているので、(画面の中の彼/彼女が何もできないのと同じように)その「死」の瞬間を固唾をのんで見守るしかない、常にテンションの張った空間が生まれる。
「死神」といえば、やはり思い出されるのは『ノーカントリー』のシガー(ハビエル・バルデム)である。シガーは超人ではないものの、ひとたび対峙すれば彼からは逃れられないという存在として描かれている。故に、例えばウェルズ(ウディ・ハレルソン)とシガーの対峙する場面は、緊張感が高まるものとなっている。ウェルズと違い、観客はその顛末を容易に推察できるからである。このような力関係は、より広義にいえば「権力勾配」と捉えることもできそうだ。思えば、「テーブルの下の爆弾」における爆弾も、人間よりも「強い」わけで爆弾/人間の間には権力勾配が存在する(登場人物が爆弾の存在を知らないために、解除不可能だという前提)。もっとも、『ザ・ボーイズ』の場合は多くの登場人物が「ホームランダーはヤバい」と知っているので、「テーブルの下の爆弾」におけるキャラクター/観客間の「情報の遅延」はない場合も多いが。
また、ソルジャーボーイのような、ホームランダーと同等の力を持つ人物が現れると、そうした権力勾配は消え失せ、サスペンスよりも超人バトルのカタルシスに興味が移っていく(S3第4話『ヒーローガズム』など)。
権力勾配が存在したうえで、②が効いてくる。ホームランダーがクラーク・ケントならば、いくら権力勾配が大きくても緊張感は生まれない。倫理的な基準が観客と異なることが予測不能性を生み、ハラハラする空間となるのだ。