2024年上半期ベストです。2月を『ベター・コール・ソウル』完走期間に設定していたため、昨年の上半期に比べて半分くらいしか観られなかった(後悔はしていない)。また、『オッペンハイマー』や『世界の終わりにはあまり期待しないで』などは昨年鑑賞作品なので、このリストには入れなかった。
#2024年上半期映画ベスト10 #2024年上半期映画ベスト
— Taku (@glaneurs_et_al) 2024年7月1日
新作41本(旧作60本)
順不同
僕らの世界が交わるまで
梟 フクロウ
夜明けのすべて
ゴーストトロピック
雪山の絆
悪は存在しない
アイアンクロー
マッドマックス:フュリオサ
クワイエット・プレイス DAY 1
ルックバック pic.twitter.com/ymNl32nAZt
- 『僕らの世界が交わるまで』
- 『梟 フクロウ』
- 『夜明けのすべて』
- 『ゴースト・トロピック』
- 『雪山の絆』
- 『悪は存在しない』
- 『アイアンクロー』
- 『マッドマックス:フュリオサ』
- 『クワイエット・プレイス DAY 1』
- 『ルックバック』
『僕らの世界が交わるまで』
ジェシー・アイゼンバーグ監督デビュー作。これは素晴らしかった。物の関係性を隔てるような画面設計やフレーム=「世界」の外から漏れ入る音など、各人が別個に世界をもつような表現が徹底される。それらが互いにすれ違うもどかしさを示しながら、それでも"交わる"瞬間を模索する人間達のダイナミズムをリアルに描いていた。その意味で邦題も的確。アイゼンバーグの演出力が光る一本で、例えば、座る場所を巡る会話の場面は、世界の一瞬の繋がりを示す演出としてとてもスマートだった。既に次回作『A Real Pain』の予告編が公開されており、楽しみである。
『梟 フクロウ』
ポスターからはホラー映画のような印象を受けるが、王朝サスペンスである。純粋に面白かった。エンタメ性と完成度では上半期トップクラスではないだろうか。盲目である主人公の見る(見える)/見ない(見られない)アクションがそのまま、(韓国映画らしいと言えるかな)政権への不信感を下地にしたテーマへと巧く接続されていた。
『夜明けのすべて』
エンドロール中の「奇跡(軌跡)」だけでベストに入れたくなる。主人公2人の独白に、三宅監督がフランス映画祭で『ブリュノ・レダル』のモノローグに言及していたのを思い出した。あちらは共感を突き放すが、こちらは共感とは違う、彼らが生きる世界に包摂される感覚を与える。『ケイコ 目を澄ませて』と同様に、当事者であることを強いず、非当事者であること(の当事者性)を重視するところも良かった。
『ゴースト・トロピック』
正直に言うと、初回は寝た。つまらなかったのではなく、心地良すぎて寝た(ちょうど、劇中で主人公が電車内で寝落ちするように)。ちなみに、同じくバス・ドゥヴォスの『Here』でもウトウトした。単に寝不足だったのかもしれない。『ゴースト・トロピック』については、2回目を観に行った。素晴らしかった。フレーム外から漏れる音と、人物の余韻を残すフィックスの長回し。電車を寝過ごして終点まで行くという日常風景から始まる円環的オデッセイかつ、未来への希望を託すようなささやかな感動を呼ぶ着地まで非常に良い。
『雪山の絆』
ウルグアイ空軍機571便の事故を基にしたJ.A.バヨナ監督作。同じ事故を基にしたイーサン・ホーク主演の『生きてこそ』という映画がある。そちらも良い作品だったが、個人的にはこの『雪山の絆』の方がより好きである。理由として、『生きてこそ』よりリアリズムが徹底されているところもそうであるが、何より、生者/死者の両面から「残された者たち」の眼差しを交差させた構成が素晴らしい。そして、それらは全てこの事故の関係者への敬意につながっている。サバイバル映画として終盤を長いと批判する声もありそうだが、実際の悲劇を扱った映画として本作のアプローチは正しいものだといえる。エンドクレジットも良い。実話ものにおいて、最後に字幕でその後の顛末を語る演出に形骸化を感じている自分的には、今年だと『オッペンハイマー』と同じく良い締めに見えた。
『悪は存在しない』
非常に洗練された作品だという印象。タイトルに収束するように描かれる、多重構造として思い出したのは、近作では『ヨーロッパ新世紀』と『ファースト・カウ』。作中のキーワードとなる「流れ」に重なるカメラの動きや、濱口作品らしく気まずい空間を生み出す会話劇など素晴らしい。『ハッピー・アワー』組の登場も嬉しかった。
『アイアンクロー』
非常に良かった。筋肉の鎧を空虚に強調するような、身体性への迫り方が素晴らしい。エフロンの走りを捉えたトラッキングショットと中盤のダンスシーンにアメリカ映画の原風景のようなものを感じた。辛い話(実際の家族には更に悲惨な出来事が起きる)だが、鎧から解放された男の半生を、そういうアメリカ映画的に締める着地に感動した。
『マッドマックス:フュリオサ』
『怒りのデス・ロード』を期待していると、肩透かしを食らう作品である。自分もそうだった。ただ、この叙事詩的な「物語の物語」はとても「マッドマックス」的であるとも思う。例えば、『サンダードーム』でそれが顕著だろう。『サンダードーム』では、荒廃した世界で「物語」を信じ続ける子供らによってマックスは「キャプテン・ウォーカー」だと見なされる。マックスはそれを否定し現実を見せようとする(物語になることに抗おうとする)が、最終的には彼は物語の一部となる。本作も直近の『アラビアンナイト』から引き続き物語論を全面に押し出した作りであり、『怒りのデス・ロード』に媚びない潔さがある。潔さでいえば、見せ場になりそうな「全面戦争」を丸々カットしてナレーションで済ませてしまう大胆さに惚れた。
『クワイエット・プレイス DAY 1』
予想以上に素晴らしい作品だった。確かに不満点はある。例えば、本作の予告編を見たとき、「白昼の大都市にモンスターが飛来するなんて、スピルバーグ版『宇宙戦争』みたいなパニック描写が見られるんじゃないか」と期待していたが、本作の興味は他にあった。これはこれで上手くいっていた。主人公2人を突き動かす動機には切実なリアリティがあり、それを体現するルピタ・ニョンゴとジョセフ・クインのパフォーマンスが素晴らしい。もちろんSFモンスター映画としての魅力もあって、例えばキャメロン映画を感じる「水」や「熱波の橙」が懐かしさを呼ぶ。白昼オフィスビルでのチェイスは、元々見たかったパニック描写に近いものだった。
『ルックバック』
原作未読だが、映像作品だからこそ、という、コマとコマの余白に連続性を如何に持たせられるかへの拘りが伝わった。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』との類似についても考えたくなった。ただ、不満というほどではないが、音楽については確かに過剰というのも分かる。劇半自体は非常に美しいもので素晴らしい(サントラをずっと聴いている)のだが、この題材ならば、情緒的音楽よりも描くことに伴う「音」をもっと信頼してもよいのではと思った。この「音」で生まれる余白はあっても良い。