otaku8’s diary

映画のこととか

『ウィキッド 永遠の約束』感想〜物語に抗う〜(ネタバレあり)

『ウィキッド 永遠の約束』を観た。後述するように素晴らしかったところはあるが、全体的に絶賛とは言えない感じである。なお、ミュージカルの方は見ていない。

 本作の大まかな構図は、『オズの魔法使い』として知っている物語はあくまで一面であり、その裏側、特に「西の悪い魔女」であるエルファバからの視点から眺めることで、善悪の見方が真逆になり得ることを示している。さらに、『オズの魔法使』(1939)の裏側、つまり『オズの魔法使』をジュディ・ガーランドの人生から眺めた場合とも重なる構図になっている。エルファバ=西の悪い魔女とする「『オズの魔法使い』という物語」を大衆は支持する。『オズの魔法使い』の物語のスピンオフである本作において、エルファバとグリンダはその物語に拘束されるために、ポピュリズムに支えられたその物語を打破することはできないものの、それでも善を行おうとする姿勢を諦めないことが重要だという信念を固める。劇中でもオズが言及するが、人々は都合が良い物語を信じる故、その物語化された世界で我々が如何に“正しく“振る舞うかというのは、現実世界における課題でもある。

 本作で自分が特に良かったなと思うのは、終盤、ドロシーがエルファバを追い詰め、エルファバが水によって溶けてしまう場面である。この「ドロシーが西の悪い魔女」に打ち勝つ瞬間、その影をグリンダが扉の隙間から窃視する。(余談だが、映画における窃視という行為は、映画を撮る/観るという行為に重なるようで、好きだ)。上記場面では、彼女が影を窃視しているという構図が素晴らしい。つまり、真実を知るグリンダ=観客は、「ドロシーが悪い魔女を倒す瞬間」そのものではなく、その影=物語を覗き見る。この構造こそが『ウィキッド』やガーランドの人生に対する『オズの魔法使』を象徴していると読める。この場面の切れ味の良さが素晴らしかった。

 一方、本作自体が『ウィキッド』という物語を語るためにキャラクターを犠牲にしている感じがあった。キャラクターの心情の変化や顛末を丁寧に描かず、ただ物語を進めるために使われているように感じてしまうのだ。故にキャラクターの言動に一貫性がないところが多い。一貫性のなさについて好意的に捉えるなら「実際、私たちの言動も一貫していないよね」という観客の自覚と、完善ではなくても努力はできるというキャラの姿勢は繋がる。その意味ではグリンダが一番魅力的である。ただ、単に語りが雑であり、『ウィキッド』という物語を語ることにキャラクターが屈してしまっているとは思う。