『ザ・ボーイズ』最終話『血と骨』を観た。正直に言うと(というか多くの視聴者が思っていることだろうが)、このシーズン5は期待外れだった。最終シーズンだというのに話は進まず、スケール感もない。最終話まで観ても、キービジュアルで煽っていたような、ホームランダーが破滅しゆく地球を宇宙から眺めたり、数多のヒーローがブッチャーと対峙するような展開はなかった。あれだけ時間を費やしたV1は結局よく分からなかったし、シスター・セージはホームランダーにV1を接種してもらい、キミコを改造するために、製作者によってその頭脳が都合よく使われただけである(個人的に嫌いなキャラクターではないが)。シーズン5は物語運びとしては失敗しているし、色々言いたいことはある。しかし、キャラクターの終わらせ方を見れば、最終話はかなり誠実だった。
もっとも、特にディープとホームランダーの死に方は予想通りだった。ディープは海に投げ出された挙句、オイル流出の件で彼を恨む海洋生物たちに殺される。これまでなんだかんだで図太く生き抜いてきた彼の最期は、少し感慨深かった。ソルジャーボーイの能力をキミコの身体で再現することに成功したボーイズは、ホームランダーの能力を無効化し、ブッチャーはコミックと同じように彼の頭部を破壊する。ここでのアントニー・スターのパフォーマンスが白眉だといって良い。過去記事に書いたように、ホームランダーの絶対的な力と殺人への躊躇いがない性質が、彼が他者と向き合った際にサスペンスを生み出す。
過去記事(otakuiy.com)
しかし、キミコによって力を失い、「神」から「人間」に成り下がった瞬間、そのサスペンスは即座に消え失せる。気を失った彼が目覚めるカットから、その表情のみでその変容が伝わるのはアントニー・スターの表現力によるものだろう。「ショックと畏怖」。これまで存在していた力の勾配は消失し、彼は初めて殺される側の恐怖を味わう。彼は誰かを見下ろす側ではなく、誰かを見上げる側に置かれるのだ。ブッチャーに助けを乞う彼の、あまりの惨めな姿。間違いなく本シーズンのベストパフォーマンスである。あと、もちろん福原かれんのキミコも素晴らしかった。
ここまでは、まだ全体の半分程度の時間が経過した頃の展開である。ここから能力者を一掃しようとするブッチャーとそれを止めようとするヒューイの対峙が描かれる。ブッチャーとホームランダーには共通項が多く、鏡像関係といっても良い。特に、共に「家族」を喪失した存在である。しかし、ホームランダー自身が空虚な存在なのに対し、ブッチャーは必ずしもそうではない。ヒューイという平凡だが確かな倫理が彼の前に立ち続けるからだ。両者の結末が対照的に描かれていて良かった。ヒューイ役にジャック・クエイドを配役したのも大正解であったと実感した。『ヒックとドラゴン』でのヒックのような、確かなヒロイズムが平凡さと弱さの中にある。
ラストはヒーロー活動をするために飛び立ったアニーをヒューイが見上げるカットで終わる。妊婦があんな高速で飛び立って良いのかという問題はあるが、能力者なのでまあ良いとしよう(この問題は『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』でもあった)。ホームランダーが最期に絶望を見上げたのに対し、ヒューイは希望を見上げる。「見上げる」という所作はヒーロー映画でお馴染みだ。ジェームズ・ガンの『スーパーマン』のキャッチコピーになっていたのも記憶に新しい。本シリーズでは現代米国やヒーロー映画を風刺していたが、最終的にはホームランダーという反スーパーマン的存在の死から、真に「スーパーヒーロー」の飛翔に着地する。美しい流れであった。

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