otaku8’s diary

映画のこととか

第37回TIFF『叫び』不可視化された暴力を”撮る”(ネタバレなし)


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  東京国際映画祭で『叫び』を観た。監督は映画監督としては新進気鋭のペドロ・マーティン=カレロ、脚本は『理想郷』のイサベル・ペーニャ(これは驚いた)。アンドレア、カミラ、マリーという三人の女性が現代と過去で経験する恐怖を描いていた作品である。

 面白かったし、悪くなかった。ただ、全体的にどっちつかずな印象で、物足りなさも残った。

 本作の軸となる設定は「ビデオを観返すと”何か”が映り込んでいる」というものであり、Jホラー的湿っぽさがある。この雰囲気は中々良かった。しかも、「ビデオ」は単なる一アイテムではなく、そこにテーマ的な意味が与えられていた。

 本作のアイデアの着想元となったと監督が語っていた冒頭のシーン。ナイトクラブで踊るアンドレアが「何か」に襲われる場面は、フラッシュライトの点滅によってモンタージュのような印象となっている。モンタージュにおける映像/映像の狭間で彼女を襲う「何か」を我々は見ることができない。このフラッシュライト≒カメラのストロボだとすれば、それと対比されるように映画系学生カミラのエピソードが置かれる。カミラは偶然見かけた女性アンドレアに心惹かれ、彼女を撮ることに執着し始める。この過程で、彼女はカメラによって見えない「何か」を捉えることになる。また、もう一人の主人公マリーは自分に危害を及ぼす「何か」を捉えるために、常にスマホでの撮影を試みる。

 「何か」は明言しないが、「有害な男性性」に紐づいたものであることは確かだろう。つまり、本作ではカメラで”撮る”ことによって、女性に対する男性の不可視化された暴力に彼女等は対抗しようとするのである。そういった意味では『透明人間』(2019)などを思い出したりするが、やや散漫な印象の本作にはそういう類似作ほどのインパクトは感じられなかった。

 カミラの「窃視」のくだりも、それだけで映画一本分のテーマになりそうなほどじっくりと描かれて良かったのだが、結局は「撮られた映像」により興味があるような作りになっているため、アンドレアへの興味に起因する彼女の「撮影行為」が浮いてしまっているような印象は否めない(その意味では、「何か」を捉えるために撮影を試みるマリーの話の方が「行為」の意味が強調されているかもしれない)。