otaku8’s diary

映画のこととか

『ジュラシックワールド 新たなる支配者』感想(ネタバレあり)

本作だけでなく,本シリーズのネタバレを含みます

 

はじめに

『ジュラシックパーク』シリーズには思い入れがあって,自分の人生の根幹をなす作品の一つである.いまのところ,シリーズの作品は手放しでは褒められないものはあれど,どれも好きだ.『ジュラシックワールド』シリーズも個人的には結構評価している.『ジュラシックワールド』ではハモンドの理想郷である「ジュラシックパーク」が実現した.ごく普通のテーマパークと同じく観光客で賑わっている.人間が完全に恐竜を管理できたかのような前半を踏まえて,中盤でそれが一瞬にして崩壊する様が描かれていた.前作『炎の王国』は賛否両論だったが,自分は肯定派である.特にラストが好きだ.

 

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『炎の王国』ではクローン少女であるメイジ―が恐竜を世に解き放つ.この展開を無責任だと批判する人もいるが,彼女は立ち位置的には「人間のエゴで生み出された存在≒パークの恐竜」であることを考えれば自然は展開である.テクノロジーの力で制御できると思っていた存在が遂に人間の手に負えなくなる.それは『ジュラシックワールド』でも描かれていたが,『炎の王国』では人間社会の在り方自体が問われることとなった.これはは原作者マイケル・クライトン≒マルコム博士の主張でもあって,だからこそ最後の台詞 ”Welcome to Jurrassic World" が冴える.因みに『ジュラシックパーク』シリーズを単に楽しいパニック映画と考える人もいるだろう(それ自体は否定しない)が,原作ではマルコムのカオス理論を基に生命への畏怖や科学技術を過信する人間社会への警鐘がかなり強く主張されている.個人的に『ジュラシックワールド』シリーズはクライトンの主張を再構築しようとしていると考えているので,この三作目が単なるポップコーンムービーで終わってもらっては困るのだ.

感想

まず結論から言うと,思ったより楽しめた.ただ,もっとうまく出来ただろうと思うところも多く,特に一番大切なテーマ性の部分に関しては不満が残る.

良かったところ

 まずは旧キャストが良かった.というより好きだ.グラントとサトラーが初めて再会する場面で涙腺が刺激されてしまった.これは仕方がない.恐竜の映像も『ジュラシックワールド』三部作の中では一番良かった.アニマトロニクスが増えたこともあって,恐竜の「そこにいる感」が『ジュラシックパーク』の頃に近づいていた.そこに現在のCG技術も加わって,よりリアルな恐竜がそこにいた.

 

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 マイケル・ジアッチーノの音楽も良かった.『ジュラシックパーク』のジョン・ウィリアムズの仕事が素晴らしいのは前提として,ジアッチーノが手掛けた『ジュラシックワールド』のテーマもウィリアムズとは違う方向性で非常に良い.今回は新旧キャラが交わるということで,音楽の面でも二つのテーマが融合しており,感動した.

 過去作のオマージュが多いというような批判もあるようだが,個人的にはあまり気にならなかった.ディロフォサウルスの件は確かにあざとかったが,『ジュラシックパーク』でネドリーと一緒に登場したドジスンが同じような死に方をするのは少し面白かった.

イマイチだったところ

 本作のイメージを一言で表すなら「ぼやけている」だ.まず,印象的なショットが少ない.一作目は言わずもがなだが,基本的にどの作品にも印象に残る画があった.その点,本作は色々と惜しい.例えば恐竜の登場シーンではなかなか決め画を見せてくれない.最終決戦でティラノサウルスの頭が一瞬丸い枠に収まるところ(=『ジュラシックパーク』のロゴに見える)は良かったが,そもそもあの場面,ギガノトサウルスが敵役みたいになっているのが解せない.話が逸れるが,『ジュラシックワールド』でのインドミナスレックスは一応ハイブリッド恐竜(人工的な存在)だからレクシィたちと対立するという構図があったのに(後者も本質的には前者と変わらないのだが),今回はそういうわけではない.まあ.個人的にギガノトサウルスが小さい頃から好きな恐竜だというだけなんだが.もっと言えば,「ギガノトサウルスが敵役みたい」と書いたが,そうならばヴィランとして弱い.また,カメラは寄りすぎだし,場面の切り替わりが少々雑で,編集もあまり上手くないと感じた.

 さきほどキャストが良かったと書いたが,キャラクターの魅力を最大限引き出してたかといえば話は別だ.『ジュラシックパーク』のグラント,サトラー,マルコムは皆学者である.あの作品が上手かったのは,専門知識を持つキャラクターをメインに据えることであの世界観を説明していたところだ.グラントやサトラーが古生物について説明する役割を,特にマルコムはパークのシステムや原作者の主張を代弁する役割を担っていた.つまり彼らがメインキャラクターであることで,あの世界や描くべきテーマに深みが増していた.『ジュラシックワールド』のオーウェンは所謂ヒーロー的なキャラクターで,良きアメリカ娯楽映画っぽい作品のトーンには合っていたように思う.ただ,『炎の王国』『新たなる支配者』と描くべきテーマが深まっていく中で,どうしても『ジュラシックワールド』のキャラクターは役不足気味に感じていった.かといって,『新たなる支配者』の旧キャラクターにも『ジュラシックパーク』にあったような必要性があまり感じられず,やはりどこかファンサービス的な印象を持ってしまう.個人的にヘンリー・ウー博士が好き(やっていることに賛同するわけではない)なのだが,彼についてもっと掘り下げても良かったと思う.原作とは違って映画では立ち位置的にはシリーズ全体のヴィランになっている.かといって完全に悪というわけではなく,彼にも彼なりの想いがあって...(長くなるので割愛).今回ウーはイナゴの件を反省して,自ら過ちを正そうとしていた.たしかにイナゴは本作のキーワードではあるが,ウーはシリーズ全体の中心人物なのだから,イナゴだけではなくて,そもそも恐竜を復活させたことについて,もっと言えばそれこそ原作のテーマっぽく「科学の在り方」を議論させても良かった.結局,彼の物語の着地もぼやけたものに感じてしまった.勿体ない.キャラクターの使い方の問題は次の問題にもつながっていく.

 最後にここが一番の問題だが,物語の着地がぼやけている,つまりテーマの掘り下げが甘い(というより掘り下げることから逃げているように感じてしまう).監督曰く,今回は原作の精神に立ち返り,映画で描かれるような遺伝子科学の問題を実際の現代社会にリンクさせたかったらしい.

 

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原作の精神に立ち返るというのは個人的に本作に望んでいたことであるから,それは大賛成なのだが...

 本作は「恐竜と人間は共存できる」という結論に着地する.でも,この「恐竜」はそれこそクライトンが批判するような人間のエゴの産物である.でも,そうであっても彼らは私たちと同じように生きている存在であるということが『炎の王国』のラストで強調された.これは外来種問題などにも通ずると思うが,映画ではメイジ―という「私たちでもある」存在を登場させることで「彼らの視点」を観客にも共有し,この問題を本質的に浮かび上がらせていた.その上で,じゃあ人間はどうするべきなのか?という問題に向き合うのが『新たなる支配者』であるべきはずだ. 

 これを「人間と恐竜が共存できるか」と単純化し,十分な議論がないまま「共存できます!」と良い感じに締めるのは流石に雑すぎないか.本作はバイオシン社の悪事を暴くという目的を用意することで,本来向き合うべきテーマから逃げてしまっており,非常にぼやけた作品になっている.結局のところ何も進展はなく,極論,本作では「何も起こっていない」.だから,自分は「シリーズを汚した!」という怒りの感情はない.結構楽しめたし,ファンとして感動する瞬間もあった.ただ,とても勿体ない.

 

 

最後に,メイジ―,今後も軽々と野生動物にエサをやりそうだけどそれはやめよう

 

 

 

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