otaku8’s diary

映画のこととか

『野生の島のロズ』への引っかかり(ネタバレあり)

 クリス・サンダースの新作『野生の島のロズ』を観た。同監督の『ヒックとドラゴン』が大好きであり、本作の評価も非常に高かったので、期待が高まることは必至であった。結論から言うと、とても良くできた作品であり、感動もしたが、引っかかる点ももある。これに書いていこうと思う。

 まず、映像は文句なしに素晴らしかった。水彩画のような手描きタッチで躍動感を持たせながら、写実的であり実物感もある。クリス・バワーズによる劇伴も印象に残る力強いものであって、とても良かった(ジョン・パウエル『ヒックとドラゴン』と比べると、ライト・モチーフのバリエーションが少ない気はするが)。

 映像や音楽、直球の疑似家族物語には素直に感情が揺さぶられた。基本的に本作は凄い映画だと思うし、好きな作品である。一方、特に引っかかったのは「時には本能(プログラム)を逸脱する必要がある」という本作の根幹にあるテーマに対する描き方の部分である。

 その冬は例年にないほど厳しい寒さに見舞われており、動物たちは生き延びることが難しい状況であった。そのため、ロズは動物たちを彼らの住処(本来の居場所)から自分たちの家に移し、「この家に居る間だけでも争いを止めて、本能を超えて連帯する必要がある」と言うのだ。この行動は、ロズ自身がキラリやチャッカリと過ごすなかで疑似家族を形成したことから得た経験則かもしれない。ここでグッときたのは、自然界で生きる上での本能(≒食物連鎖)を無視するのではなく、「生命全体が脅かされる場合、一時的にその摂理を逸脱してでも共生し、"生命というもの"を繋ぎ止める必要がある」というニュアンスであり、その世界を繋ぎ止めるためには生物多様性が必要になるという帰結である。ここで、彼ら自身の本能を消し去るという欺瞞を残さないことがポイントである。様々な種族を包含する世界では、食う/食われる関係を消し去ることはできず、その関係を持って生命が循環する。

 しかし、動物たちが団結して戦い、万事解決した後、クマがチャッカリに対してこんなことを言う。

「明日からはお前を追い回すからな…冗談だよ!」

この一言によって、先述した「共生の論理」の説得力が損なわれる。つまり、"一時的に"ではなく"永続的に"本能を逸脱し続けるというニュアンスである。これは結局のところ、人間界を表象するために動物たちを使ったに過ぎないとも読めてしまう。動物を擬人化した作品に付き纏う欺瞞のようなものを、ここでやはり感じてしまったのだ。たかが一言、されど一言である。

 ただ、この作品が上手い(ずるい?)のは、本作が寓話的に描かれており、「動物の擬人化」が物語として成立してしまうようにも見えることだ。作中、チャッカリはキラリを安心させるための「お話」の話をする。また、ラスト近くでは、ロズと動物たちの助け合いを象徴するような絵が(これまた象徴である)家に飾られる。それらを踏まえれば、本作は人間界を表象した御伽話といえるかもしれない。