otaku8’s diary

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『ストレンジ・ダーリン』感想〜悪魔との決闘〜(ネタバレあり)

※本作を観る上で、ネタバレは避けた方が良いでしょう。以下、ネタバレします。

 

 

 

 

 『ストレンジ・ダーリン』を観た。本作は6章立てになっており、それらの章を組み替えた、時系列バラバラ映画である。時系列がバラバラになっている構成と、追う男/追われる女の攻防が描かれる第3章を冒頭に据えていることを合わせて考えれば、正直、この話の大まかな流れは早い段階で読めてしまう。なので、「予測できない展開!」と謳う宣伝を鵜呑みにすると、肩透かしを喰らうかもしれない。個人的に、本作の魅力は、そうしたサスペンス的なところとは別にあるように思う。

 本作は、ちょっとした台詞やアクションで背景を推察させる演出が巧い。たとえば、冒頭のカーチェイス。男が一発目のショットを放ち、女の車が横転する。男はもう一発撃てば彼女を仕留められるだろうが、そうはしない。ここで、「彼は本当に彼女を殺そうとしているのか?」という疑問が湧く。

 また、男と女がホテルに行く直前、彼女は男が暴力を振るわないことへの確信を得ようとする。早く部屋に入りたい男に対して、「女だって遊びたいのに、常に殺されるリスクを考えなきゃいけない」と言うのだ。ちなみに、このとき、男が拳銃を携帯しているシーンが挿入される。ここから、男が警戒心を持っていることが仄めかされており、「連続殺人犯は女の方では?」と推察できる。男が早くヤリたいという雰囲気を醸し出した後、彼女の機嫌はあからさまに悪くなる。男の胸に「EL」を刻んだ彼女は、嘘か本当かは分からないけれど「こんなことしたくなかった」と言ったりする。また、彼女は連続殺人犯であるが、自分に優しくしてくれた者のことはなるべく殺したくない様子である(劇中では全員女性)。こういう描写から、「彼女には男性不信の原因となるような出来事が過去にあり、反動的に殺人に手を染めるようになったのでは?」と察する。実際、彼女は「人が悪魔に見える」と語っていた。ちなみに、主人公の女性の役名は「The Lady」であり、男性の方は「The Devil」である。

 本作の中で、彼女はまごうことなき悪人であり、彼女を応援したい気持ちは芽生えない。しかし同時に彼女は、明言はされないけれども、男性社会に起因する何かなのか、暴力による支配の犠牲者かもしれないことは読み取れる。

 ラスト、大怪我を負った彼女は、助けてくれた女性の車内で鏡を見つめる。鏡に映った自分との切り返しショット、「悪魔」のイメージの挿入、そしてこれまで「The Devil」に被せられてきた仰々しい劇伴が流れる。つまり、彼女が己=悪魔を見出した瞬間である。彼女が銃を取り出し、定まらない銃口を見せたとき、相手の女性はリボルバーを取り出し、彼女を撃つ(彼女が撃とうとしたのかは不明)。ここは、西部劇っぽいシーンである。この車内という密室での対決は、従来の西部劇における“外”の荒野と対照的であり、男性同士の対面として描かれた決闘が、女性たちの関係性として描かれている。また、女性同士の戦いといえば「キャットファイト」としてよく登場するが、本作はそこに着地しない。それぞれのステレオティピックな展開を脱構築したシーンだといえる。

 撃たれた主人公が息絶えるまで、カメラは彼女を映し続け、Z. Bergによるオリジナル曲「Better the Devil」が流される。“Better the Devil”とは、“Better the devil you know than the devil you don’t”(「未知の危険より、知っている危険の方がマシ」)という言い回しに由来する。他者=悪魔のリスクに怯えて生きるよりも、自らが悪魔となる選択をした彼女の帰結を映し続ける。ある意味、その選択を迫る世界からの解放を描いたという点で、この決闘シーンは、女性同士の連帯を示しているともいえるだろう。

 本作は「男vs女」という対立以上に、「社会vs個人」や、自己認識を巡る葛藤など、多層的な“戦い”が描かれており、それには時系列シャッフルの錯綜感も一役買っているように思う。