otaku8’s diary

映画のこととか

『フラッグ・デイ 父を想う日』感想 ペンがいっぱい(ネタバレなし)


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 ショーン・ペンの前作『ラスト・フェイス』は評判の悪さでスルーしてしまっていたが、監督作『イントゥ・ザ・ワイルド』は自分にとってかなり重要な映画なので、今回はあまり期待せずに観に行ってみた。一般評価は微妙で賛否両論という感じだが、個人的には大当たりの、アメリカン・ニューシネマ的な風を感じる映画だった。

 まず何と言っても映像が特徴的。16 mmフィルムのザラついた質感が非常に味わい深く、温かく懐かしい空気感を作っている。劇場でやっている新作の中で異質の存在感を放っている。16 mmフィルムでの撮影といえば大傑作『ケイコ 目を澄ませて』でも使われている。新作でこういう映像を観ることができるのは、とても幸せだと感じる。他にも海岸の崖っぷちに立つ主人公の図など、印象的なショットもあって満足。

 『イントゥ・ザ・ワイルド』での主人公クリストファー・マッカンドレス(クリス)は自由を求めて文明社会から抜け出し、アラスカの荒野を目指した。ここで皮肉なことに、文明との繋がりを絶とうとしても生きている限り文明の恩恵を受けざるを得ず、彼は最終的に誰もいない荒野で繋がりの重要性を実感した。

 今回、クリスに重なるような人物が二人いる。ショーン・ペン演じる父親ジョンとディラン・ペン演じる娘ジェニファーだ。ジョンは子供たちの前で「偉大な存在(父親)」であるために、虚言癖があるとしか思えないような嘘を重ねて自分の弱さを隠し、「偉大な存在」という虚構を作りあげる。彼は自分が生きる現実から逃げ続け、後先考えずに大金を借りたり犯罪に手を染めたりしながら「(フラッグ・デイに生まれた)偉大な存在」という見えない目的地を目指そうとするのだ。クリスのように自由を渇望し社会規範と対立するジョンだが、『イントゥ・ザ・ワイルド』が逃避し続けるクリスの視点で進んでいたのに対し、本作では違う視点、つまり娘の立場から逃げ続ける男を眺めていく。

 娘は父の流れを受け継ぎ、自分が生きる世界から逃避しようとする。クリスと同じように文字通り旅をしたりする。しかしジャーナリストを志す彼女は、父親やクリスとは異なる選択をすることで、ある種の自由を手に入れていくことになる。彼女が大人になったとき、昔と変わらず自由への渇望から逃れられずに虚構を纏う父親とは大きな隔たりを感じる。それを象徴する二人の再会のシーンが素晴らしい。やはりショーン・ペンがうますぎる。

 しかし、クリスが社会との繋がりから逃れられなかったように、今の彼女は父親の存在の上に成り立っており、その繋がりを断つことはできない。本作ではそれを肯定も否定もせずに、フィルム撮影による温かい映像をもって、隔たれた二人の人間を「父娘」という本質的とも実存的ともいえる関係性に落とし込む。この辺はクリスの行動に白黒付けずに、あるがままを見せた『イントゥ・ザ・ワイルド』と似ている。さらに、これは父娘の話から虚構としてのアメリカ像への批評に拡張することもできる。ここで「フラッグ・デイ」というタイトルが効いてくるのだ。

 『フラッグ・デイ』は評価の分かれる映画ではあるが、テーマ的にも演出的にも、ペン本人と娘・息子が出ているという意味でも『インディアン・ランナー』から続くショーン・ペンの集大成的な作品で個人的には非常に良かったと思う。