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映画批評月間『ブリュノ・レダル、ある殺人犯の告白』感想(ネタバレなし)

 アンスティチュ・フランセ日本主催、映画批評月間で観た二作目は『ブリュノ・レダル、ある殺人犯の告白』。


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 1900年代初頭に実在した殺人犯ブリュノ・レダルと、彼を担当した医師の手記を基に映画化したようだ。とある少年を山中で殺害した17歳のレダルは自首をする。捕まった彼は、医師に自分の人生を幼少期から振り返るような回顧録を書くように言われる。本作ではその手記に書かれた内容(過去)と、レダルと医師の問答が映し出される。

 まず特筆すべきはレダルの手記をほぼそのまま再現したらしいナレーションだ。本作には全編通してレダル役のディミトレ・ドレによる語りが存在する。その語りによって説明過多になっており、故に物語のサスペンス性が低下していて、正直なところ、はじめは何だかなあという印象だったが、その後のトークショー(三宅唱監督登壇!)も踏まえて考えてみると、これはかなり興味深いのではないかと思えてきた。

 本作からは、彼を断罪したり、逆に彼に同情させたり、はたまた彼の動機を理解させようという意図も感じられない。その要因の一つこそ、延々と続く彼のナレーションだろう。通常、映画には「語らない美学」のようなものがあって、語らないことで生まれる余白が観客の想像力を掻き立てる。そして、これが映画に娯楽性をもたらす。しかし、本作ではナレーションによってその余白を塗り潰しているように見える。つまり、意図的に娯楽性を消しているのだ。

 実在の殺人犯を描いたような映画では、作品が犯人に寄り添ってしまう危険性についてよく議論される。その意味では、本作は寄り添うこと、もっといえば娯楽的に消費することも拒絶しようとしている。

 本作では「自慰」が物語の重要なキーワードとなっている。ひたすら続くレダルの一人称視点の語りはまさに「自慰」的であり、それを淡々と映しだす本作には、冷徹ささえ感じられる。