IMDbによれば、ヴァンゼー会議の三度目の映画化(テレビ映画)らしい。純会話劇で、ひたすらナチス幹部らがユダヤ人をどうするか話し合う様子が映される。特にドラマチックな展開もないから退屈だと思う人もいるだろうが、個人的には大傑作であった。
ヴァンゼー会議の詳細はあまり知らなかったが、最終的にナチス・ドイツがユダヤ人に対する行為についてはもちろん知っている。なのでこの映画ではどのようにその決定に至ったのかを見ていくことになる。面白いのは、この会議が至って"普通"に進んでいくことだ。よくフィクションで描かれるような一辺倒な印象を与えるのはオットー・ホフマンくらいで、基本的には我々が行うのと同じように理知的に会議が進んでいく。休憩もちゃんと挟む。会を仕切るラインハルト・ハイドリヒは常に不気味な笑顔を見せる姿が『ザ・ボーイズ』のホームランダーみたいで怖いが、ちゃんと反対意見にも耳を傾けて穏便に話し合いを進めようとする。反対意見といえば、特に注目したいのはニュンベルク法を作ったヴィルヘルム・シュトゥッカートと牧師の息子フリードリヒ・ヴィルヘルム・クリツィンガーだ。二人とも議論の流れに待ったをかけ、反対意見や懸念をぶつける人物である。観客は最終的に彼らがユダヤ人に何をするのかを知っているから、逆の立場をとる二人を見て「この中にもまともな人がいたのか」と思い始めるが…
本作が会話劇として上手いのは、彼らが論理的な議論を展開したり尤もらしい主張をすればするほど、彼らと観客の認識のズレがどんどん広がっていくところだ。そもそもユダヤ人は劣っていて、排さなければならないという共通前提があるということがグロテスクに突きつけられていくのだ。例えば人道主義に見えるシュトゥッカートが気にかけるのはドイツ兵の精神的負担であって殺されるユダヤ人に対してではない。ちょうどセルゲイ・ロズニツァ『バビ・ヤール』が公開されたばかりだが、バビ・ヤールでの虐殺を引き合いに出して「効率面や兵士の負担を軽くするためにはガス室を使うのが最適だ」と"論理的に"かつ"人道的に"あのアウシュヴィッツの悲劇に繋がっていく流れは非常に恐ろしい。
予算の関係があるのか劇伴もなく会議をほぼリアルタイムで淡々と追っていくだけの映画であるが、その作りが功をなしていた。観客を会議室の椅子に縛り付け、その異常性を見せつけていくような作品であった。